概要


第一章 断片的な記憶

2007年から2010年までのシリアでの生活を断片的に書いています。 国際交流基金や国際協力機構のような日本の機関を通さず、直接ダマスカス大学と契約をすることになった私は、大学からの給料の未払いや住環境などに様々な問題を抱えていました。長い間契約書もなく、シリアの滞在許可証も発行されない中で、私のために走り回って大学や役所で手続きを進めてくれたのは、日本語学科の学生たちでした。

私が最初に住むことになったのは、「大学の町」と呼ばれる区域にある学生寮の建物の一室でした。トイレの水が逆流して噴き出し、部屋の壁からも水が流れ出て放物線を描いて床に落ちるまでになったこともありました。そんな時も、毎日寮に来て、修理のために動いてくれたのは学生たちでした。

最後の一年間は、訳あって寮の部屋からも追い出され、ダマスカスの外れにあるカシュクールという地区にアパートを借りて住みながら、教師の仕事を続けました。そこは、慈善活動家のアンジェリーナ・ジョリーがわざわざ視察に来るような貧困地区でした。 私は、学生たちと毎日一緒にいました。カシュクールのアパートでは、事情があってダマスカスに住むところがなくなった一人の学生と、一緒に住むことになりました。

私が教えた日本語の歌を一緒に歌い、サッカーに熱狂し、恋愛を語り、笑い、時々はピクニックに行き、しかしほとんどは誰かの家かカフェで、コーヒーかシャイ(アラブの紅茶)を飲みながら、特に何かをすることもなく、時間を忘れてただ話し続けました。


第二章 学生たち

日本語学科の学生たちの2011年以前と2011年以後を書いています。 故郷を去った者、恋人に死なれた者、兵士となった者、殺された者、救護隊員になった者、日本に来ることができた者、彼ら一人ひとりの学生時代の思い出と、2011年以降の彼らの言葉がここにあります。

2011年以降、お互いが敵対する立場となった者たちからも、同じように「先生、あの頃が懐かしいな」という言葉が私に届きました。


第三章 再会

2011年以降、私は二度シリアへ帰ろうとしました。しかしその願いはどちらも適いませんでした。

私は今中国の大学にいますが、夏休みと冬休みを利用して、シリア国外に出たかつての学生たちに会いに行っています。

学生たちとトルコで再会し、エジプトで再会した時のことを書いています。そして日本に来ることができたかつての学生たちとも、半年に一度、必ず会っています。

日本では周りのほとんど誰もシリアのことを気に留めず、彼らは時に無神経な言葉を投げかけられながら、胸に「シリア」を抱えて毎日を生きています。精神的に追い詰められていた学生から、こんな言葉が中国にいる私に届いたことがありました。

「先生、何でもいい。何か話して。あの頃のシリアの話が聞きたい」


 「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。

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