試験

大学の中間試験、期末試験が近づくと、学生たちは大挙して私の部屋にやって来た。学生たちにとって少し不便になったカシュクールに私が移ってからも、それは変わらなかった。 補習授業をしていたのではない。学生たちは勝手に試験勉強をして、質問があると私を呼んだ。ただいつでも勉強時間は一時間ほどで、三時間以上は休憩時間だった。


最初の期末試験の前、私は風邪をひいて、大学の町の部屋で寝ていた。美央はまだ日本にいた。学生たちはベッドの横の大きなテーブルで、それぞれ勉強していた。同時に、誰かが暖かいスープを作ってくれたり、誰かが台所をぴかぴかに磨いてくれたりしていた。

「先生、ちょっと一つだけ質問、いい?」

一人が私のベッドに教科書を持って来て、気まずそうに聞いた。

「いいよ。大した風邪じゃないから。寝たままでいい?」

「もちろん。あの、この問五なんだけど」

「これは『切符が取れれば』が正しい。『飛行機の切符が取れれば、オランダに行きたいと思っています』。『切符を取れば』は間違い」

そんな文法問題の解説をしていたら、また別の学生が「先生、ちょっと俺も」と質問に来た。気がつけば私の枕元には五、六人の学生たちが教科書を片手に集まり、私の答を聞いて素早く書き込んでいた。そして、次の答を待っている。さながら哲学者の臨終の言葉を一言も漏らすまいと書き取っている弟子たちのようだと思った。

「何だ、私は死ぬのか?」

「先生、どうか最期の言葉を私たちに」


期末試験には大学が手配する試験監督がいて、教師は立ち会わなくてもいいことになっていたが、私は必ず教室に行った。日本語学科の試験の場合は問題文も当然日本語で書かれているので、学生たちには解答の仕方に何か不明な点があれば、試験中でも私に質問してもいいと言っていた。

試験開始から三十分ほど経った頃に、私は教室に入った。

「何か、質問ある?」 すると何人か手を挙げた。私はその一人の机に近づいて、声を小さくして聞いた。

「何?」

「ここです。この問題」

学生も、小声で言った。

「答が分かりません。何ですか?」

「ん?」と、私は思った。「答?」

「はい、答」

「試験だから、教えられないよ。残念ながら」

学生は「ドウシテ?」と驚いた顔をして、更に質問を続けた。

「じゃ、この問題のAとCの、どちらが正しいかだけ、教えてください」

「それもだめ」

「ドウシテ?」

一層驚いた学生の顔を見て、私は笑ってしまった。

他に手を挙げた学生たちの質問も、同じようなものだった。

「先生、私のこの答、正しいですか?」

学生は、にこにこ笑って質問をした。

「知らないよ」

私もそう言って笑った。これが、私がシリアで経験した最初の期末試験だった。


「あの頃のシリアの話」第一章 断片的な記憶/カンニング


 「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。

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