タクシー
シリアを去った後、私はフェイスブックのアカウントを作った。シリアの学生たちと連絡を保つためだったが、それを使って最初に日本からメッセージを送った相手は、ラーメズだ。
「使い方、分かってきたぞ」
「やっと現代人に近づいてきたな、先生」
それから私たちは、とても女子学生たちには聞かせられない話をした。私がシリアにいた時と、何も変わらない。
夜中に大学の町から「ラーメズ、だめだ。先っぽが痛い。尿道だ。何とかしてくれ」と泣きつくショートメッセージを送ったことも思い出して、書いた。その時の尿道の痛みは、ラーメズが翌朝私のメッセージに気づいて驚いて電話をかけてくれた時には、もうすっかり消えていたのだった。
「じゃ、またな、ラーメズ」
フェイスブックのチャットを終えようとした時、私は一応確認した。
「この会話、他の人は読めないよな?」
「先生のちんちんの話?読めないよ。俺がこの会話を全部コピーしてタイムラインに貼り付けなければ」
ラーメズはそう書いて、チャットを終えた。
そのラーメズも、二〇一二年に日本へ来た。ナスマとアナスと同じ長野の日本語学校に留学したが、その手続きは大変なものだったらしい。必要な書類は限りなく、シリアではいつできるのかも知れない。それは私がいた頃の比ではなかった筈だ。シリア人はそれだけで絶望的になるが、ラーメズの場合はまた事情が異なる。ラーメズの国籍はヨルダンだ。ラーメズはいくつかの証明書を得るために、ヨルダンへも行く必要があった。
シリア南部の町ダラアから陸路ヨルダンへ向かう。方法はタクシーしかない。いつどこで銃撃戦が始まるか分からないのが、その時のダラアだった。タクシーの運転手は誰も国境に近づきたくない。ラーメズはヨルダンまで行ってくれる運転手を探した。そこに一人の運転手が登場する。
「俺に任せろ。何度もヨルダンまで行って帰って来た。俺に任せれば、だいじょうぶだ」
その運転手はリュック・べッソンの「タクシー」と「トランスポーター」シリーズをそれぞれ十回くらいずつ見ていたのかも知れない。ラーメズの話を聞いて、私は勝手にそう想像する。どちらも、運転手が冗談みたいに活躍する映画だ。
とにかくラーメズは、その運転手に深く感謝をして「お願いします」とタクシーに乗った。国境付近に来た時、まず走るタクシーの数十メートル先で砲弾が炸裂した。そして銃撃戦が起こった。走るタクシーの上をピュンピュン銃弾が飛んだ。ラーメズは座席の下に縮こまっていた。
運転手はどうしていたかと言えば、タクシーを走らせながらやはりラーメズと同じように縮こまって、震えていたらしい。それはそうだろうと思う。運転手はコーランの一節を唱え始めた。それを聞いた時、ラーメズは「もう、だめだ」と思ったそうだ。
ラーメズはその時の話をして、運転手の様子を真似た。私はそれを見て笑った。どこまでも笑い話にしなければ気の済まない男だと思った。それを私は、不謹慎だとは思わない。
「あの頃のシリアの話」第二章 学生たち/ア・ロック
「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。
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