イスタンブール 1
ヌール・マーシャに会いたいと思った。ヌール・アルジジャクリーと同じ名前だが、マーシャの方は男性だ。「ヌール」はアラビア語で「光」を意味する。二〇一四年、ヌール・マーシャはトルコのイスタンブールにいた。
シリアにいた頃、ヌール・マーシャと二人で話したことはあまりなかった。ヌールはいつも教室の最後列の一番端に座っていた。始業前は、いつも新聞を広げて読んでいた。成績は良くもなければ悪くもなかった。ヌールはタバコを吸わないから、私が休み時間にラーメズやハイサムたちと外に出てタバコを吸う時も、そこにいることはなかった。ただ、私が何か問題を抱えていて、学生たちがそのために放課後キャンパスの喫茶店に集まってくれる時は、さりげなく、必ずそこにいてくれた。
ヌール・マーシャは多くを語らない。しかし今、あの頃の学生たちと私が二〇一一年以降のシリアについて話す時、「よく生き残った」と一番に思うのは、ヌールのことだ。
二〇一〇年にダマスカス大学を卒業した後、ヌールは徴兵された。その後のことを私はヌールから直接聞いたが、ここで詳しく書くことは避ける。ただ、ある時は何も持たず、ポケットには運転免許証しか入っていなかった。そんな状態で、ヌールは死線を超えた。たった一人でシリア国内を北上し、国境を越えてトルコへ入ったのは、二〇一四年の一月一日だった。
二〇一四年の夏、私は中国に戻り、また武漢の大学で日本語を教え始めた。シリアへ帰ることができないなら、大学の休暇を利用してシリア国外にいるあの頃の学生たち一人一人に会いに行こうと決めた。最初に選んだのが、イスタンブールだ。そこにヌール・マーシャがいる。そしてイスタンブールから飛行機で約一時間半の距離にあるガジアンテップという町に、ラハフがいた。
二〇一五年七月、私は武漢からイスタンブールへ飛んだ。深夜、ヌールが空港で私を待ってくれていた。そこから街の外れにあるヌールのアパートに行った。ヌールは、二人のシリア人と一緒に住んでいた。どちらもシリアから逃れて来た青年たちだった。
「あの頃のシリアの話」第三章 再会/イスタンブール
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