カイロ
シリアの挨拶は、相手の右左の頬に一回ずつ軽くキスをする。異性の友人とすることは稀だが、同性であればそれが当たり前だ。右、左、右と三回の場合もある。普段は頬と頬を合わせるだけで唇は付けない。互いに「チュッ、チュッ」と音を出すだけだ。しかし本当に唇を付け、繰り返し何度も頬にキスをして、会えた喜びを心から表現することもある。
中東の風景だった。「茶色いな」と思って見ていた。二〇一五年一月、私はカイロの上空から街を見下ろして、シリアの街とよく似た風景なのにここはシリアではなく、ここまで来ているのにシリアへは行けないのだと、改めて思った。
エジプトの入国ビザは、カイロ国際空港で簡単に取得できた。入国審査も簡単に済んだ。到着口を出ると、しかしそこで待っていてくれる筈のアルハイサムがいなかった。とりあえず空港を出て、外でタバコを吸いながら待つことにした。
アルハイサムは四十分後にそこに来た。
「あれ?」
「遅れて来るか、普通」
「長く待ってた?」
「四十分」
「入国の手続き、早かったね」
「早かった」
「アヒリーン(ようこそ)、センセイ」
「シテ・ナーラック(会いたかった)、アルハイサム」
私たちは抱き合って、何度もキスをした。
私はカシュクールに住んでいた時のようにアルハイサムと話すことができれば、それで良かった。ただエジプトは初めてだったので、ピラミッドとスフィンクスくらいは見て帰ろうと思っていた。
到着した翌日は、強い砂嵐のせいで全く外出できなかった。一日中、ベッドでごろごろしながら、アルハイサムとだらだら話した。それが私とアルハイサムのカシュクールの日常だった。
ギザの砂漠へ行ったのは三日目だ。アルハイサムが住むアパートからタクシーで三十分ほどで行くことができた。そこは当然ピラミッドとスフィンクスを見に来る観光客で溢れ返っていると思っていたが、私とアルハイサム以外にはほとんど誰もいないようだった。前日の砂嵐は関係ない。前の年にシナイ半島でロシア旅客機の墜落があったからだ。そのせいで観光客が激減していると、ガイドは話していた。私は駱駝に乗り、アルハイサムは馬に乗って回った。その日ギザの砂漠は、静かだった。
「あの頃のシリアの話」第三章 再会/カイロ
ロシア旅客機墜落
二〇一五年十月エジプトのシナイ半島に墜落し、乗客乗員二百二十四人が犠牲になった。直後にイスラム国(IS)が犯行声明を出し、エジプトのシシ大統領はこれをプロパガンダだと否定していたが、二〇一六年二月、墜落がテロに因るものと認めた。
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