自由恋愛

日本で読んだ何かの本に「シリアでは結婚前の恋愛は禁止されている」と書いてあった。しかしその話をすると、学生たちは笑って答えた。

「ばかばかしい」

実際、大学のキャンパスには恋人たちがたくさんいた。但し婚前交渉は禁止されている。そして家庭環境によっては、恋愛が全く許されていない女性もいる。そういうことのようだった。

日本語学科の学生の多くは、自由に恋愛をしていた。その相談が、私のところに来ることもあった。


恋愛相談をされても、私はほとんど役に立てない。第一に、女心というものに疎い。それは自覚がある。しかし私が役に立てない理由は、それとはまた別のところにもあった。シリアでは恋愛と結婚を分けて考えることが難しく、結婚を宗教と民族から切り離せなかった。

シリアでは、基本的に同じ宗派、同じ民族の人と結婚することが望ましいとされている。もう少し詳しく言えば、イスラム教スンニ派の男性は、他の宗派、他の宗教の女性とでも結婚できる。しかしスンニ派の女性は、同じスンニ派の男性としか結婚できない。アラウィー派は、比較的自由が許されている。結婚に関して最も厳しいのはドゥルーズ派で、相手がドゥルーズ派でなければ絶対に結婚は許されない。皆が皆、教義を深く信奉してのことではない筈だが、ドゥルーズ派の場合、それは抗えない掟と言っても良かった。

ドゥルーズ派の男子学生とスンニ派の女子学生が恋をした。ピクニックに行った時、二人はバスの中でずっと隣に座り、同じ姿勢で何時間もただ見つめ合っていた。他の誰とも話さなかった。周りの私たちは、二人が確実に首を痛めるから時々窓側と通路側の席を替わった方がいいと、そんなことを小さな声で話していた。

ある日、ドゥルーズ派の学生が一人で私の部屋に来た。

「悩んでいますよ、やっぱり」

「どうなるんだ、これから」

「どうにもなりません。どう考えても、未来はありません」

「いつか、どこかシリアではない他の場所で一緒になったとしたら?」

「ドゥルーズの社会からは抹殺されます。家族にも捨てられます。私には、それはできません」

それでも二人の関係は一年以上続いた。別れが来たのは、二人が卒業した後だった。

「難しすぎました、先生」

今度はスンニ派の女子学生の方が、私に言った。


「あの頃のシリアの話」第一章 断片的な記憶/自由恋愛


アラウィー派

イスラム教の一派。シリアでは少数派だが、大統領の宗派はアラウィーである。


ドゥルーズ派

シリアの少数派で、その特殊な教義から、イスラム教徒ではないとも言われている。


「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。   

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