おもてなし

学生たちの家に招かれて、よくシリアの家庭料理をご馳走になった。私が一番好きだったのはカプセだ。直径一メートルはあろうかという大皿に炊き込みご飯が敷かれ、その上にどかんどかんと肉が乗っている。羊の肉か、鶏肉だ。炊き込みご飯は、肉を煮込んだスープで炊いている。それを絨毯の上で、車座になって食べる。大皿の周りには、また別の料理も衛星のように配置されている。私の取り皿には、右からも左からも次々と料理が盛られた。

「先生、どうぞ、どうぞ」

「もっと食べてください」

シリアには「人間はもう食べられないと言ってからでも、あと二十口は食べられる」という格言のようなものがある。誰が言い出したのか知らないが、それがシリア人にとっておもてなしの基本とされているようだった。

「まだ、食べられます。はい、タッブーレも」

「いや、もうそろそろ限界」

「何を言うんですか。はい、もっとヤランジー」

「いや、あの、本当にもう無理」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。肉、どうぞ」

最後には、大抵もう動けなくなっていた。

「眠たくなってきた」

「先生、どうぞこちらのベッドで昼寝してください」

「あ、いいの?」

私は寝室に案内された。

「何時間寝ますか?」

「じゃ、一時間で」

「また起こしに来ますね。おやすみなさい」 


カプセは元々サウジアラビアの料理だ。カプセと作り方は違うが、同じように米の上に肉がどんと乗っているマンディという料理があって、私はこれも好きだった。マンディは元々イエメンの料理だ。つまり私のシリアの大好物は、どちらもシリア料理ではなかった。

シリア人は米も食べるが、主食と言えばホブスだ。ナンよりも薄く硬い円形のパンで、これを手で千切り、ホンモスと呼ばれるひよこ豆のペーストを付けたり、茄子をオリーブ油にどっぷりと浸したマクドゥースを巻いたりして、食べる。

実を言えば、私はシリア料理が苦手だった。シリア料理にはヨーグルトがどっさり使われている物が多かった。代表的なのはファッテで、これはひよこ豆をヨーグルトで煮込んだスープにレモン汁を足し、こんがり焼いたホブスを交ぜて食べる料理だ。初めてそれを食べた時、私は一口食べて、スプーンを置いて「無理です。ごめんなさい」と、謝った。私は、酸っぱい物が苦手だった。ヨーグルトはデザートにイチゴ味の物を食べるのはいいが、料理に使うの賛成できない。

タッブーレはパセリのサラダで、残念ながら私はパセリも嫌いだった。

ヤランジーは米と野菜をぶどうの葉で巻いた物だ。野菜はトマトやパセリやネギで、シリアでは一番人気の前菜と言っていい。しかし私にとっての問題は、それが大量のレモン汁で煮られていることだった。

「ヤランジーが嫌いな人間がこの世にいるなんて信じられません。それは先生、本当に美味しいヤランジーを食べたことがないからです」

何人もの学生たちがそう力説していた。しかし、私にとって美味しいヤランジーは存在しなかった。

「先生も、どうぞ」

教室に女子学生が料理を持って来ることがあったが、それがヤランジーだと私は黙って二、三歩後退した。

「私、昨日初めて家で作りました。食べてください」

二十本くらいのヤランジーがタッパーの中に綺麗に並んでいた。

「いや、ありがとう。だけど私は、実はヤランジーが苦手で」

「そんな。ヤランジーが苦手な人間がこの世に」

驚きと悲しみを帯びた目で見られると、私は逃げようがなかった。

「食べる、食べる。一つ、いただきます」

「どうですか?」

「酸っぱい」 


「あの頃のシリアの話」第一章 断片的な記憶/おもてなし


「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。

Daiho Tsuruoka's Works

鶴岡大歩の作品を紹介します