タイムカプセル

カシュクールに一緒に住んでいた頃、コンピューターを持っていないアルハイサムに、私は自分のラップトップをいつでも使っていいと言っていた。私が試験問題を作成していたのもそのラップトップだったから、今思えば、私が留守の時にアルハイサムが探して見ようと思えば、いつでも見られた。しかしそんなことを決してしないのがアルハイサムだったし、周りの誰もがそんなアルハイサムの性格を知っていた。シリア人とはそういう人たちなのだと言っているのではない。むしろそんなチャンスが転がり込めば多くのシリア人は必ず見る。

ラップトップを開けると、「アルハイサム」という名前のフォルダーがあって、そこにはしっかりポルノが入っていた。教師のコンピューターに堂々とポルノを保存するのがシリア人だと言っているのではない。そんなことをするのはアルハイサムくらいだ。 因みに私もそのポルノは見たが、ちゃんとアルハイサムの許可を得た。


ある週末の午後、私は期末試験の採点を中断して、隣の部屋で寛いでいたアルハイサムを呼んだ。その時アルハイサムは三年生だった。

「何だ、これは?」

三年生の読解の試験だった。授業で使っていた教科書にタイムカプセルに関する文章があり、私はそこから何箇所か抜粋して、問題を作っていた。

「シュー?(何)先生」

「これだ。『大阪城公園にあるタイムカプセルはどのような物ですか。次の質問に答えなさい』、『どのくらいの大きさですか』。ここの答、何が『人間くらい』だ」

「そこ、分からなかった」

「本文に『直径一メートル』って書いてあるだろう。その前に、『人間くらい』って何だ。アルハイサムとゴフランじゃ、背の高さは四十センチも違うだろうが」

「うん、そう」

「次の問題もだ。『中に何が入っていますか』の答が、どうして『何も入ってない』になる」

「その問題、あきらめた」

「何も入ってないタイムカプセルを埋めて、どうする。五千年経って取り出して、未来の人が『わっ、何も入ってない』って言うのか。悩むぞ、未来人」

「深い意味があると思うかも知れない」

「どんな意味?」

そしてまた私たちは、いつまででも話した。


「あの頃のシリアの話」第二章 学生たち/キンタマック


「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。 

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