ワッラ
日本語学科を卒業したラハフは、暫くの間ダマスカスで幼稚園の先生をしていた。日本語を使うことはなくなったが、仕事は楽しいと話していた。子どもたちと一緒になって天真爛漫に笑っているラハフを想像した。子どもたちが度を越して大騒ぎするような時は、目を見開いて一言、凄みを帯びた声で「うるさい」と言っているに違いない。その一言に子どもたちが縮み上がっているところまで想像できた。
「先生、その通り」
「やっぱり」
「言うことを聞かない子どもたちに、他の先生は『ラハフ先生が来るわよ』って言うんだって。それだけで子どもたちは静かになるの」
ラハフはどうもそのことを誇らしく思っているようなところがある。
「先生、どう思う?」
「子どもの気持ちが分かる」
私がシリアを去ってからも、よく連絡を取り合っていた。訳もなく、唐突にラハフのことが頭をよぎる。ラハフの方も同じで、そのタイミングが一致することも何度もあった。
「今日、ラハフのことを思い出していたんだ」
「私も、今先生にメッセージを送ろうと思ってた。昨日先生の夢を見たの。ワッラ(本当)」
二〇一二年の秋から、ラハフとラガドはシリア・アラブ赤新月社のボランティア救護隊員になった。二人がトレーニング期間を経て試験に合格したばかりの時も、私はラハフと話していた。ラハフは、赤新月社のメンバーになれたことを喜んでいた。「マブルーク(おめでとう)」と私は言って、「シュクラン(ありがとう)」とラハフは言った。
「本当に嬉しい」
救護活動のことを思えば、「マブルーク」という言葉は簡単に使っていい言葉ではないと思う。それでも、他にどう言えば良かったのか、私は知らない。
「聞いてもいいかな。危険な場所に行くことになったね?」
「第一に、先生は私に何を聞いたっていい。第二に、そう。シリアの状況は、日に日に悪くなってる。救急救命のボランティアは数が足りない。だから、私たちも危険な区域に行く。両親には、詳しいことまで話せないけど」
ラハフはそう言って、にこにこの顔文字を送って来た。
「嬉しいの。誇りに思うようなことじゃなくて、これは義務だと思ってるけど」
「私は、そういうラハフとラガドを知っているっていうことが、嬉しいよ」
「私たちも先生を知ってて、嬉しい。ワッラ」
「そう言われると、恥ずかしいよ」
「どうして?」
「どうしてかな。ラハフはやっぱり、強いな」
「強くないとね。だけど先生、本当はね、私たちの周りはどこも誰かの死ばかりで、私はターレブが死んだことが今でも信じられなくて、毎日、言葉にできないほど悲しい」
そしてラハフは、話題を変えた。ゴシップが好きだったラハフは、その時も日本語学科の誰かが婚約したとか結婚したとか、そういうことを私に報告してくれた。
「あの頃のシリアの話」第二章 学生たち/ワッラ
赤新月社
人道支援を行う組織。目的は赤十字社と同じだが、イスラム教国の多くはキリスト教の象徴である十字ではなく、新月を標章として用いている。シリア・アラブ赤新月社では、シリア人であることと大学を卒業していることがボランティア活動への参加条件で、救護隊員を選ぶ最初の面接では中立、公平であることが確認される。六週間のトレーニング期間の後、筆記試験と実技試験が行われる。
「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。
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