島唄 1
アルハイサムはスピーチコンテストに参加していなかったが、閉会の前にマイクの前に歩み出た。
「鶴岡大歩先生のために、私たちは歌いたいと思います。先生は、私たちにたくさんの歌を教えてくださいました」
ステージには、ダマスカス大学日本語学科の学生たちが揃っていた。ムダルは、私がシリアに置いていったギターを持って、ステージに上がっていた。そして学生たちは「島唄」を歌い始めた。
実は、私は前からそのことを知っていた。日本へ帰ってからも、インターネットでアルハイサムたちと何度も話していたからだ。スピーチコンテストの日のために、皆で放課後「島唄」を練習していると言っていた。ムダルがギターで伴奏することも聞いていた。
「学科長も、大使館の人たちも、私の名前を出したら嫌な顔をするぞ」
私は、学科長だけでなく、そこにいる日本人のほぼ全員に嫌われていた自信があって、そう言った。
「絶対、オレたちは先生の名前を言う」
アルハイサムは頑固だ。
「それで、練習はどう?」
「酷い。ナシーブは怒ってる」
ナシーブは音程を外しまくる学生に怒っているらしい。ナシーブ自身は、歌が上手だった。
「でも、一生懸命歌う」と、アルハイサムが言った。
本番、学生たちは大きな声で歌ったが、音程は外れに外れ、リズムは各自ばらばらで、伴奏をしていたムダルは誰もギターに合わせないことに憤慨して途中で演奏を止め、最後はどこで終わったのか分からないという終わり方になったそうだ。ナシーブは、隣で歌っていた学生の名前を挙げて「あの下手くそが」と怒り狂っていた。
「残念」と、私への報告を終えたアルハイサムが言った。
「いいよ、それで。その方が、おもしろい」
私は笑った。アルハイサムは、納得していなかった。しかし私は、私の名前を出して歌ってくれたことを心から喜んでいた。
「あの頃のシリアの話」第三章 再会/ダマスカス国際空港
「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。
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