セルヴィス

「私は、先生に来てほしい。ここで、私たちと一緒に毎日を生き延びてほしい。私の心は、先生を待ってる」

それは、ラハフからのメッセージだった。ラハフは、私が日本語学科に帰ろうとしていることをラガドから聞いていた。

私は、私たちのセルヴィスのことを思い出した。

私たちは大学の教室で遊んでいた。誰かがダマスカスの日常の一場面を再現して動画を撮ろうと言い出した。教室の椅子をセルヴィスの座席に見立てた。ラーメズが首にタオルを巻き、タバコを口に咥えて典型的なセルヴィスの運転手を演じた。そのセルヴィスに、ラガドとトゥリーンが乗っていた。運転手に背を向けて、ヌール・アルジジャクリーとヌール・マーシャが並んで座っていた。ラハフとハザールとヘバは、一番後列の座席に座っていた。座席のないピエールは、中腰になってドア近くの狭い空間にいた。ハイサムは助手席だった。ラーメズはタバコを吸いながら運転した。がたがたの道で、皆が揺られていた。ピエールはたまらず膝をついた。次の停留所で、私はそのセルヴィスに乗った。乗り込む時に、ドアの上で頭をぶつけた。詰めてもらって私はヌール・マーシャの隣に座り、後ろを振り向いてラーメズに十シリアポンドの運賃を手渡した。セルヴィスはまた走り出し、私も揺られた。次の停留所で、ラハフが降りた。それから一人ずつ、私たちはセルヴィスを降りて行った。

「ラハフも覚えているだろう?」

二〇一〇年の五月、ダマスカス大学で私の最後の授業が終わった後だった。

「私はあのセルヴィスに、もう一度乗りたい」

私はそう書いて、ラハフに送った。


「あの頃のシリアの話」第三章 再会/説得


セルヴィス

行き先の決まった乗り合いタクシーで、詰めれば十五人くらいは乗ることができる。シリア人の足と言ってもいい乗り物で、ダマスカス市内の近距離であれば、運賃は日本円にして当時二十円くらいだった。


「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。

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