日本語学科 1
マハムードとアルハイサムは仲がいい。神を信じるか信じないかで二人が口論をしたことは、私の知る限り一度もない。ヌール・アルジジャクリーとラーメズも仲がいい。シリアにいた頃、私の前で敬虔なイスラム教徒の学生と無神論者の学生がアラビア語で何か激しく言い合うことがあった。しかし数えるほどだ。ラマダンの断食も、礼拝も、多くの学生が個人の問題だと思っていた。
学生たちが本音だけを話す筈はもちろんない。根本的に反りの合わない学生たちも当然いる。しかしクラスメートから嫌われるとすれば、それは自己中心的な考えをする学生や物惜しみをするような学生で、スンニ派の学生とアラウィーやドゥルーズの学生が、教義が理由で仲たがいしたという話は聞いたこともない。イスラム教徒とキリスト教徒でも同じだ。皆、日本語学科の同じ教室にいた。口論をすることはあっても、それが終われば後は何事もなかったように話すし、一緒に歌いもするし、踊りもする。それが、私の知っている学生たちだった。
学生たちの関係が変わったのは、私がシリアを去って一年も経たない頃だった。決定的に亀裂が入ったのは宗教が理由ではなく、政府を支持する者と反政府の立場に立つ者との間だった。二〇一一年以降のシリアで、近しい人の誰も殺されていない、拘束もされていない、餓えていない、家も失っていない、そんな人はもう一人もいない。私が教えた学生たちは、そういう環境にいた。
名前を出さずに、日本語学科にいた二人の話をする。男子学生と女子学生で、お互いが好きだった。二人は最後まで恋人という関係にはならなかったが、私は両方から気持ちを聞いたので、確かだ。この二人も、二〇一一年を機に散々に傷つけ合った。女子学生の方が政府を支持していた。どちらも互いを許せなかった。いつからかもうずっと連絡をしていないと、私は二人から別々に話を聞いていた。
しかし二〇一六年に、私は二人が一緒に写っている写真を見た。送ってくれたのは男子学生の方だ。もちろん、もう二人とも学生ではない。何年も話さなかった二人が、シリアではないある場所で再会し、一緒に食事をしていた。
「楽しかったか?」と、私は彼に聞いた。
「はい、先生。とても楽しかった」
「良かったな」
「先生。もういいと、思ったんです」
「そうか」
「もう十分です。私たちはああやっていがみ合って、何年もの間、一体それで、何人が死んだんですか。何人が故郷を失ったんですか。もういい」
「あの頃のシリアの話」第三章 再会/日本語学科
「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。
0コメント