傘がない
歌うことが好きだったシリアの学生たちに、私は教室でギターを弾いて日本の歌を教えていた。井上陽水の「傘がない」も、その一つだ。
「都会では、自殺する若者が増えている」
これを教室で何度も一緒に歌った。斉唱するような歌ではなかったが、声を合わせて歌っても不思議な味わいがあると思った。
ダマスカスは雨があまり降らない。一年の半分は全く降らない。冬場に少し雨が降っても、シリアの人たちはほとんど傘をささないし、珍しく大降りでずぶ濡れになっても、平気でいる。
「行かなくちゃ。君に逢いに行かなくちゃ。雨に濡れて行かなくちゃ。傘がない」
学生たちは初めから傘を持っていない。しかしこの歌詞の意味を理解していたと思う。この歌がとても好きだった。
「先生、ギターお願いします」
誰かのアパートに集まって夜中まで話し続ける時も、よく歌った。
「トカイデワァー、ジサツスルゥー」
あの頃の学生たちは今もこの歌を覚えていて、またシリアで一緒に歌える日を待っている。
歌を教えるのには、日本語の問題ではなく音程の問題で、いつも時間がかかった。学生たちの半分以上が歌い出しから音を外すことは当たり前で、中には見事なまでに全ての音を外して最後まで歌い切ってしまう学生もいた。
「日本では小学校でも中学校でも音楽の時間というのがありますよね。でも私たちにはそんな時間はなかった」
それが理由だと、学生たちは言っていた。
「いいよ。気持ち良く歌えば」
私のギターも、本当は人に聞かせられるようなものではない。今も、あの頃と変わらない。いつかまたシリアで一緒に歌う日、ギターを弾きながら私は、「やっぱりそっちも下手なままだな」と思って、懐かしくて声が震えるだろうと思う。
「あの頃のシリアの話」第一章 断片的な記憶/日本の歌
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