ピクニック
シリア人の大多数はイスラム教徒で、お酒を飲まない。しかしピクニックに行くと、学生たちは大声で歌い、激しく踊って、とにかく騒ぐ。そのボルテージは、誰も一滴もお酒を飲んでいないとは思えないほどだった。
ピクニックはバスを借り切って、いつも朝五時半には出発していた。普段、朝八時半からの最初の授業には大半遅刻して来るのに、ピクニックの日だけは、五時にほぼ全員が揃っていた。そしてバスが動き出して二十分もすれば、学生たちはもうアラビア語の歌を歌い始めていた。集合場所だった大学の門ではなく、自宅のあるダマスカス郊外からバスに乗ることになっていた一人は、遅れを取らないように歌い踊りながらバスのステップを上がって来た。
日本語の歌も歌った。至るところ舗装が剥げているシリアの道路を走るバスは、がたがた揺れる。私はその大きく揺れるバスの中で、ギターを弾いた。
ピクニックの目的は、バスの中で騒ぐことだった。シリアには、どこにもカラオケ店などない。行き先は何となくしか決まっていなかった。学生たちは「緑を見に行こう」とか「海が見たい」とだけ、話していた。歌の合間に「それで、どこへ行く?」と、話し合っていた。
雨の降らないダマスカスは緑が少なく、地中海からも遠い。海を見るなら、タルトゥースかラタキアという街だった。バスはいつも、とりあえず北へ向かった。ダマスカスからラタキアまでなら、真っ直ぐ行っても五時間はかかる。ダマスカスに戻るのは、夜の十時を過ぎることもあった。帰りはさすがに全員、ぐったりしていた。
「あの頃のシリアの話」第一章 断片的な記憶/日本の歌
「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。
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