結婚

美央が初めてシリアに来たのは、二〇〇七年の十二月だった。私が一人でシリアに住み始めてから二ヶ月が過ぎた頃、美央は婚姻届を持って日本からやって来た。その前の年に私と美央は神戸で出会い、私がシリアへ行くまでの一年間は一緒に神戸に住んでいた。

シリアで私は婚姻届に自分の名前を書き、捺印した。美央はそれを持って二週間後に一人で帰国した。一人で私の両親に結婚の挨拶に行き、二〇〇八年一月、これも一人で区役所に婚姻届を提出し、私は日本からざっと八千キロほど離れた場所にいたが、法律上はそれで正式な夫婦になった。私の結婚についてあらましだけ書くとこうなる。結婚式も何もなかった。

その日、大学の町の私の部屋には学生たちが五、六人来ていて、多分「誰が一番毛深いか」とか、そういうたわいない話をしていた。蚊に刺されたことが一度もないという学生がいた。蚊はその学生の体に止まるが、蚊にとってはジャングルのような体毛が絡まり、皮膚に辿り着けずに死んでしまうという話だった。

神戸にいる美央から電話があった。入籍の報告だった。

受話器を置いて、私は学生たちに言った。

「今日、結婚したらしい」

「マブルーク(おめでとう)」

学生たちが歓喜の声を上げた。 


美央は二〇〇八年の二月に再びシリアへ来て、また私と一緒に暮らすようになった。日本にいる頃は、私以外の誰に対しても極端に口数が少なく表情もほとんど変えない人だったが、シリアの学生たちは簡単に美央の心を開いた。

「ハジメマシテ、ミオサン」

学生たちは真っ直ぐに美央の顔を見て、日本語でそう言ってにこっと笑っただけだ。それで十分だった。私が驚くほど、美央も学生たちの前でよく笑った。

美央は何を問われても、その場をごまかすような返事をしない。後日日本大使館に呼ばれて、参事官夫人に日本人婦人会に誘われた時も、「私はそういう団体行動が嫌いですから」と一言で断っていた。

「さすがミオサン」

私がその話をすると、学生たちはそう言って美央を称えた。

私だけでなく美央も、大使館の外交官や、国際交流基金や国際協力機構から派遣されている日本人との付き合いは、極端に苦手だった。


「あの頃のシリアの話」第一章 断片的な記憶/結婚


「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。 

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