初めて

ターレブの実家は、ナスリーエという町にあった。ダマスカスから北東に車で一時間ほどの距離だ。シリアには細かな砂ばかりの砂漠というのはほとんどなく、多くは土と石だけの荒地だが、私はナスリーエへ行って初めて、遠くにそんな砂漠を見た。端から端まで見えたので、相当小さな、白い砂漠だった。

ターレブは大家族の一員だった。家に招かれて何人も紹介されたが、家族構成を一度に覚えるのは不可能だった。ただその時の、お母さんの話は覚えている。

「長女に子どもが産まれるまで、私はずっと子どもを産んできました。次は長女の番です」

一番下の子どもと、初孫が同い年だった。もう誰と誰が兄弟で姉妹で甥と姪でいとこなのか、さっぱり分からなかった。ターレブは家族の中でも、頼りがいのある兄貴だった。

私は大家族と車座になって、カプセを食べた。誰かの家に招いてもらった時はいつもそうだったが、「もっとどうぞ」という言葉は高波のようで、私は「まだ食べられる筈です」と言われるままに、その時も動けなくなるまで食べた。


「先生、家で飼っている鶏を見ますか?」

ターレブの家の近くに、平飼いの鶏舎があった。外から覗くと、地面を何百羽かの鶏が喚きながら所狭しと動き回っていた。

「うわっ」

「先生、中へどうぞ」

「入るの?」

「はい」

「入れる?」

「もちろん。写真を撮りましょう」

私はそっと中に入った。少し足を踏み出せば、鶏の方で私を避けてくれた。ターレブも鶏舎に入って来た。

ターレブの弟のサルマンが写真を撮ってくれた。私とターレブが肩を並べて何百羽かの鶏と一緒に写っている。私はその写真をそれから数年後にまた、フェイスブックで見ることになった。


私たちは鶏舎を出て、それから暫く家の近所をドライブした。一本道で、他に車は走っていなかった。人家もまばらで、静かな場所だった。

「先生、運転しますか?」

車を走らせていたターレブが、突然助手席の私に聞いた。

「できないよ。運転免許証もない」

「車を運転したことがないんですか?」

「ないね。人生で、一度もない」

「じゃ、運転してください。私が教えますから」

ターレブが車を停めた。冗談ではなかった。

私は運転席に移ってハンドルを握った。ターレブは助手席から車の動かし方を一つ一つ丁寧に教えてくれた。車は動き出し、加速し、緊張してどうにかなりそうな私の横で、ターレブは声を出して笑っていた。弟のサルマンも後部座席で笑っていた。

「動くもんだなぁ」

私は興奮して叫んでいた。

私はその日ナスリーエで、砂漠らしい砂漠を見て、鶏舎に入り、そして無免許運転をした。どれも人生で初めての経験だった。 しかし私にとって車の運転は、恐らくそれが最初で最後になるだろうと思う。


ターレブが死んだのは、二〇一二年の九月だった。


「あの頃のシリアの話」第二章 学生たち/初めて


「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。

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