口達者
ナシーブは口から先に生まれたような男だった。「口達者」という日本語は、私がナシーブに教えた。
「ナシーブのことだ」
ナシーブは嬉しそうだった。そしてクラスメートたちに誇らしげに言っていた。
「俺、クチタッシャ」
人の話は、基本的に聞いていない。カシュクールの私のアパートで、他の学生たちに喋り続けるナシーブを私は止めたことがある。
「ナシーブ、インドの山奥へ行って五年くらい草木とだけ話して来い。五年もそうやって修行したら、少しは人の話も聞くようになる筈だ」
ナシーブはすぐにこう返した。
「先生、アレッポに行ったら三ヶ月で俺のように喋る人間になれるよ」
インドの山奥というのは、もちろん私が勝手なイメージで適当に言ったことだが、アレッポはナシーブの出身地だった。
「アレッポ人は皆ナシーブみたいに喋るのか?」
「ええ、先生」
恐るべしアレッポ人と思った。
ナシーブにインドの山奥行きを提案したのは、私の部屋のどの位置にソービアを置くか、学生たちが集まって議論している時だった。ソービアは軽油ストーブのことで、雪が降ることもあるダマスカスの冬には欠かせない。ナシーブの恋人の家には使っていないソービアが一つあると聞いて、一緒にそれを借りに行き、カシュクールのアパートに運び入れることになっていた。
どこに置いてもいいという問題ではなかった。それは確かだ。狭い部屋の中で、誤ってぶつからないようにしなければならないし、ソービアは密閉式のストーブなので、鉄製の排気筒をどのようにつなげて壁の上にある穴まで持って行くかという問題もあった。この穴はソービアの排気筒を通すためのもので、シリアのアパートには必ずある。
激論になった。ナシーブがほとんど喋っていたが、私の同居人アルハイサムも食い下がっていた。一時間以上も結論が出なかった。
私は結局ナシーブの意見を採用したが、するとアルハイサムが完全に拗ねた。
「じゃ、もうオレ、手伝わない」
「まあ、そう言うなよ、アルハイサム」
「オレ、もう知らない」
私とアルハイサムの部屋のために、どれだけ時間がかかろうが本気で話してくれるのがシリアの学生たちだった。そしてその中で、喋る量の多さと聞く量の少なさで圧倒的だったのが、ナシーブだ。
これも、かつてのシリアの話だと思う。今、ダマスカスには軽油が届かない。今年の冬も雪が降り、ソービアはただの鉄の塊で、人々は暖を取れない。
二〇一一年から二〇一四年まで、ナシーブはヨルダンにいた。ヨルダンからトルコへ移り、二〇一六年からはドイツにいる。
二〇一四年、私はシリアに帰ろうとしていた。ナシーブはその話をヨルダンで聞いた。
「先生がどうしてもシリアへ行くと言うなら、その前にヨルダンで俺が先生を殺す」
ナシーブは、私を止めるために言葉を尽くした。
「シリアへ行く前に、ヨルダンでナシーブに会うことは約束する」
しかしその年、私は結局シリアに帰ることができなかった。ナシーブと再会したのはヨルダンではなく、トルコのイスタンブールだった。
「あの頃のシリアの話」第二章 学生たち/アレッポの口達者
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