渋い男

「渋い男とは、どういう男のことを言うのか」

私は教室で「渋い」という言葉の意味を説明していた。口数が少ない。無駄話をしない。自分から、自分の話をしない。つまり、ナシーブではない。喜怒哀楽の感情表現には節度があり、パニックを起こさない。

「つまり、ムダルだ」

そう言うと、学生たちは全員振り返って、納得した。ムダルは教室の一番後ろに座っていた。その時もムダルは、片方の口角を少しだけ上げてほんの一瞬、笑みらしきものを見せただけだ。

これがもし私が冗談で「ナシーブだ」と言っていれば、ナシーブはもう立ち上がって、自分が実はいかに渋い男かをぺちゃくちゃとクラスメートに語り始め、その結果自分が全く渋い男ではないことを即座に証明してしまうに違いない。そんなことを決してしないのがムダルで、クラスメートの誰もが認める渋い男だった。


ある時何を思ったかムダルが自分から私に、ジョークを言おうとしたことがある。大学の授業の休憩時間に、外に出て皆でタバコを吸っていた時だ。

「先生、ジョークを言います」

ムダルが唐突にそう言った。全員が、渋い男のその前置きに少し驚いた。

「アラブのジョークです」

「うん。どんなの?」

「男が、高いビルの屋上から飛び降りました」

ムダルが語り出した時、後ろからまずナシーブがムダルを止めた。

「違う。そうじゃない、ムダル」

どうやら、そこにいる全員が知っているアラブのジョークらしかった。ナシーブが私に分からないアラビア語でムダルに何か伝えていた。ムダルは黙ってそれを聞き、納得した様子で、再び話し始めた。

「先生、もう一回、最初から言います。男が、八階建てのビルの屋上から、飛び降りました。六階まで落ちた時」

「だから、違うって、ムダル」

次は横からマハムードがムダルを止めた。マハムードも何かムダルにあれこれジョークのポイントを教えていた。

「先生、もう一回。男が、八階建てのビルの屋上から飛び降りて、六階まで落ちて、頭が下で、足は上で」

「ムダル、違う」

ムダルは、また止められた。今度はアルハイサムだった。ムダルはアルハイサムの話を黙って聞いていた。そしてまた私の方に向き直って言った。

「先生、俺もう、あきらめる」

その言い方も、渋かった。

私は、そのジョークをとうとう聞かずじまいだ。二〇一一年以降、私はナシーブ、マハムード、アルハイサムと、それぞれ別の場所で再会したが、不思議なことに誰もそのジョーク自体を覚えていなかった。ただ全員が、その時「俺、あきらめる」と言ったムダルを覚えていて、真似をして笑う。ただ皆で集まって話していた日常の、特に何もない一コマを思い出して、私たちは笑う。


ムダルも、トルコからギリシャへボートで渡ったシリア人の一人だ。難民となって今、オランダにいる。私は次に、ムダルに会いにオランダへ行く。


「あの頃のシリアの話」第二章 学生たち/渋い男


「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。

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