隣の隣
シリアにいた時の話だ。私は日本史の授業で、元寇について教えていた。モンゴル帝国は日本の侵略に失敗したが、それにしても領土は広大だ。
「先生、東は日本だけど、南西はどこで止まったか知ってる?」
教壇に立つ私にラーメズが逆に問題を出した。世界史はラーメズの方が詳しい。
「南西は、この辺だな」
私の答えはあやふやだった。
「シリア」と、ラーメズが教えてくれた。
正確に言えば、アレッポもダマスカスもモンゴル帝国の西アジア遠征軍に一度は占領されている。しかしマムルーク朝が奪還した。十三世紀のモンゴル帝国最大版図を見れば、西アジアの地方政権イルハン国は、シリアまで及んでいない。日本があり、とてつもなく広大なモンゴル帝国があって、その西はエジプトとシリアを支配したマムルーク朝だ。
「なるほど。日本とシリアって、十三世紀は隣の隣だったんだな。そう考えると、ちょっと近いような気がしないか」
「しない、しない」
学生たちが口を揃えて言った。
「それもそうだな」
実際、日本とシリアは遠い。
二〇一六年の夏、博多駅の喫茶店で私はラガドと話していた。
「日本で一番よく質問されるのは、ヒジャブのこと」
「ヒジャブのことを何て?」
「例えば、シャワーを浴びる時はどうしてるのって。取るに決まってるでしょう」
「日本人って、そんなことを聞くんだな。特殊な接着剤で頭に貼り付いてるから、髪の毛は洗ったことがないと思ってるのかな」
「それだけじゃない。紅茶を飲むと言うと、驚かれる」
「どういうこと?」
「『紅茶、飲めるんですか?』って」
「意味が分からないな」
「りんごを食べていても『へえ、りんごも食べるんですね』って言われる。果物も食べないって、どうして私たちシリア人のことをそんなふうに思うのかな。私たちは、そんなに変?」
「別の惑星から来たと思ってるのかな」
「そういうのが、ほとんど毎日」
「そこまでとは思わなかった」
神戸に戻る前に私は辛子明太子が買いたくて、ラガドと二人で構内の土産物屋に入った。
「とてもおきれいですね」
女性の店員が、にこやかにラガドに声をかけた。
「どちらから来られたんですか?」
「シリアです」と、ラガドが答えた。
「ああ、南米の」
「いえ」
「ああ、あっちの、あの、中東の方だったかな」
店員は最後まで、にこやかだった。
「ラガド、私はシリアのことを今世界で一番有名な国だと思っていたよ。考えられる最も悲しい理由だけど、それで世界中に知られる国になったと思ってた。違うみたいだな」
「うん。普通の人たちだけじゃない。国際的な仕事をしてるって言う日本人の中にも、何も分かってない人がいる」
ラガドはその頃から、疲れていたと思う。その年の十月、路上で知らない男にヒジャブを被っていることで暴言を吐かれた。脅迫に近い言葉だったそうだ。
中国にいる私に、ラガドからメールが届いた。
「先生、何でもいい。何か話して。あの頃のシリアの話が聞きたい」
「あの頃のシリアの話」第三章 再会/隣の隣
「あの頃のシリアの話」は、今出版社を探しています。このBLOGでは原稿の一部を紹介しています。
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